「琉球孫松誕生物語り」
(本部町) ― 棚原 正巳氏 ―
●琉球松 別名(蔡温松)蔡温(1862~1761年)は、三司官(今でいう大臣で3人制)を25年も務め、琉球において農業技術の改良や琉球松の植林を激励し、現在、沖縄県国頭村辺戸地区で蔡温松と呼ばれている松並木や、今帰仁村仲原馬場は県の文化財(史跡)になっている。 周辺の松並木は蔡温松と呼ばれ、松の樹齢を感じさせる見事な枝ぶりを見せている。
戦前県内で見られた琉球松 別名蔡温松(さいおんまつ)並木は戦争で数少なくなりました。
●琉球松(蔡温松)から(本部町)棚原正巳氏が、枝変りから種(マツボックリ)を採取して種をまき、約3,000本の中から選抜したのが孫松です。
沖縄県北部の校長を退職した15名位グループ、姫サザンカの会 当時会長だった古堅氏に名前を付けてほしいと言ったら、この松にどんな思いがあるかと聞かれて、棚原正巳氏は、この松は、「孫、ひ孫」代々に繋げていく思いですと話したら、もう決まりだよ、孫松にしなさいと言われ命名は孫松に決められたそうです。
●私達、琉球孫松愛好会は、挿し木、取り木で増やして県内外に、希少種(稀少種)発見されている個体数が極端に少ない原種。「孫松」を盆栽(小品盆栽)など育てる喜びを、人から人へ誰でも自由に楽しめる仲間を増やしていきます。
趣味の園芸・盆栽 丸吉工芸
098-956-3787
琉球孫松誕生物語り

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